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カンガルーの親子たち

初訪問

日曜日。

カンガルーの親子の定例会に参加して先輩お母さんの話しを聞きたい。でも、NICUを退院したばかりのお子さんは医師から外出禁止令が出されていて出かけることができない…。

そんな超低出生体重児育児がスタートしたばかりのお母さんの力になってあげてほしいとある方から声をかけてもらったことをきっかけに初訪問。

本当はもうひとり別のお母さんと一緒に行く予定だったけど、お子さんが急に発熱。ま、子供がいたらこういうことは日常茶飯事。

事前に電話や手紙でやりとりをしておいたので、初対面という変な緊張感がない。
それとも、やっぱり同じ気持ち、同じ体験をしたもの同士だからかな〜。

以前、まだあやたんがNICUにいるとき「(親友でも健康な子供ばかりの)私では、かえって励ましにならないから」と頼まれて、あるお母さんに会ったことがあるけど、そのときより、ほんの少しだけど「聴く」心の余裕ができていたかな〜なんて。

時間の経過…
カンガルーの親子のたくさんのお母さんたちとの出会い…
カウンセリングや傾聴の講習会…
そのひとつひとつが力になっている。
予定時間を大幅に越えてしゃべってました。(ちょっと反省)

頭蓋内出血や兄弟のこと…悩みや不安の共通点もたくさん。
今まで踏ん張って、頑張ってきたことを話しをしたことで気持ちが少しでも軽くなってくれたかな。

誰にも悟られないように独りこっそり隠れて泣くのは、辛くて悲しい気持ちをまた自分の中に閉じ込め蓋をする。
気持ちを分かってくれる人に話しを聴いてもらって流れ出る涙は、心にひっかかっていたものが一緒に流れ出る。

…って、ママはそんなふうに考えちゃうんだけど大袈裟?!

春になって、外出禁止令が解かれたら、たくさんの仲間たちに会いに来てくださいね。

超早産を防止した文集

カンガルーの親子に参加しているあるお母さんから「文集が役に立ったよ!」とのメールが。

文集とは、そう、カンガルーの親子で先月作った出産時体験をまとめたもの。それがお友達の超早産防止につながったというのだ。

お友達の始めての妊娠が、文集に書かれていあるお母さんの妊娠初期のからのトラブルの状況にとてもよく似ていたらしい。

妊娠初期から出血などのトラブルがあり、22週になったところで、出血の量が増えたりお腹の痛みが始まったり、でもかかりつけの産婦人科では自宅安静にしておくようにとしか言われない。そんな不安な毎日をこのカンガルーの親子に来ているお母さんに相談をしていた。

もちろん、そのお母さん自体も早産で、この文集を読んだり、カンガルーの親子でいろんな人の体験を聞いているので「何か変!」「絶対に危ない!」との直感(?)で違う病院で診てもらうことに・・・。

このとき、23週。結局、細菌感染や破水の危険もあり産まれそうな状況であることがわかり大病院に入院することになったのだそうだ。

その後、カンガルーの親子のお母さんは経験者として話を聞きたいと言われ、週1回お見舞いに行き励まし続け、現在31週!!!

23週で生まれるのと、30週以降で生まれるのでは、赤ちゃんにとってのリスクは違いすぎる。そのことを他のだれよりも私たちがよく知っている。

23週からだから約2ヶ月の入院・・・きっとお母さんも大変だと思うけど、赤ちゃんもお腹で頑張っている。そして、何よりもお腹の中で育ててあげられることができる幸せ。

ママの場合は、あやたんをお腹の中にとどめておくことが危険(胎盤剥離だったから)で、即帝王切開での出産となった。あの時の自分の至らなさ、守ってあげられなかったという虚無感と大きなお腹の妊婦さんを見るたびに保育器からお腹の中に押し戻したくて押し戻したくてどうしようもないあの押さえることのできない気持ちを今でもはっきりと覚えている。

だから、絶対安静で動くことができない入院生活も辛いとは思うけど(ママはその経験がないんだけど・・・)赤ちゃんも、そして、家族も一緒に頑張っているんだということ。そして、医師や看護師の皆さんが全力でサポートしてくれているので安心して入院生活を過ごしてほしい。

何よりも、経験者であるお友達が力をくれていると思う。無事の出産をママも、カンガルーの親子の仲間みんなが祈ってるよ。

もうちょっと!!もうちょっとで赤ちゃんに対面できるからね。

・・・もともと、早産をしたばかりのお母さんに「ここに先輩ママが、仲間がいるよ」というメッセージとして作成した文集。それが、こういった形で超早産の防止につながるとは作成段階では考えもしなかった。

他にも看護師さん(特にNICU)やリハビリの先生方にとっても心理的な変化、原点の確認になったというような感想もいただくことが増えた。

中学生になる自閉症のお子さんを持つお母さんからは、「最近、イライラして手を挙げたくなってしまうことがあったけど、初心忘れたらいけないって子どもと落ち着いて向き合えるようになったよ」とも言われた。

なんだかすごいな、文集・・・。いろんな形での波及効果にママはビックリする毎日。

嬉しい報告

火曜日、カンガルーの親子で一番の新米お母さんから嬉しい報告メールが届いた。
23週生まれの赤ちゃん、5ヶ月の入院を経て、無事に退院したと!

お母さんは、赤ちゃんを産んですぐからカンガルーの親子に参加。回を重ねる毎に表情が変わっていったのが分かり、ホントに嬉しかった。

フレーフレー!毎日の育児。初めての育児!!

みそら母の出産体験記

2007年8月、24週と5日で前期破水のため出産。
みそら、832gでの誕生でした。
NICU入院中は おしっこがでなくなり危険な状況になりました。
3日間出ないとなり そろそろダメだとなった時に ようやく出て 助かりました。
もちろん おしっこが出ない間はミルクもストップでした。
その間、みそらは哺乳瓶の先をくわえて 過ごしてました。
未熟児貧血にもなり輸血もしました。
動脈管開存症は、針の穴ぐらい。
体重が6キロになるまでに閉じない場合は カテーテルの手術でしたが、
誕生から約8ヵ月後、無事に閉じました。
未熟児網膜症は 入院中 4時間のレーザー治療で 現在は検査のみです。
ヘルニアは、穴が大きくあいているため緊急の手術はなく 1歳まで待ちの状態です。
一番気がかりなのが、中枢神経検査 頭部MRIで「所見とあり」と言われたことです。
通常は無い線が脳にあるということなのです。
これが入院中、退院してからのみそらがかかった病気の数々です。
低体重の子供を持って…
入院中は 病院に通うのと母乳をしぼることに夢中でしたが、退院してからが不安な毎日でした。
病院なら安心だが 家で私は どう対応するか、 初めての赤ちゃんだというので 何が普通で正しいのが さっぱり分かりませんでした。
でも、カンガルーの親子に入って パワーアップ。意外にも 同じような状況の方が沢山いて、体験談を話してくれることが なによりの元気になりました。
「気が楽になった」、そんな感じです。
みなさん頑張ってるのが 伝わります。
発達の遅れなんて 気にもならなくなり、
月1回 、会に参加して お喋りするのが楽しみ。
旦那にも 積極的に会に参加してもらうつもりです
私は、38歳いや39歳に間もなくなる時に高齢出産をして、バテバテの毎日・・・。
産後の回復もかなり悪く 若いと思っていたのは 間違いと気づかされました。
来月1歳を迎えるみそら。やっと最近 寝返りを一方方向のみ始め 、離乳食がすすまない毎日ですが、元気に家族で過ごせる日々の幸せを感じています。

シュンペイ母体験⑨・・・そして今、思うこと

息子は今1歳8ヶ月となりました。身体は小さめですが最近やっと上手に歩くことができるようになりました。お兄ちゃんに揉まれながらたくましく成長しています。次男の特徴なのか、自分が泣いてもケロッとしているし、ときどきお兄ちゃんを泣かせることもあります。何でも兄を見て真似をしようとします。発達には兄はいい存在だと思います。子育ては二人目ですが、長男の時とは少し違う気がします。積み木を上手に積んだり、お絵かきをしたり、お気に入りの本を読んでとせがんだり、普通の子供ではあたりまえのことでも、こんなことが出来るようになったなあとひとつひとつが小さな喜びです。

先日生まれてから今までの写真をアルバムにまとめました。私が退院して面会に行き始めてからは毎日写真を撮りました。看護師さんから毎日頂いた体重と飲んでいるミルクの量を書いたメモも張りました。呼吸器をつけていたり、口からミルクの管を入れられていたり、点滴をしている腕を動かさないように腕に大きな支えを貼り付けてあったり・・・・・。鼻の呼吸器がはずれて上を向いている鼻の顔、初めてミルクを口から飲んだ時、初めてお父さんとお母さんに抱っこされた時、あ~こんなにしていたなあと今では写真を見ないと思い出せないほどです。

息子が生まれて思ったことはたくさんあります。お医者さんや看護師さんの仕事や医療の大切さ、すばらしさをはじめ、息子と同じ未熟児や心臓の病気で生まれたお子さんを持つお母さん方との交流はいつも楽しく、勉強になり、励まされパワーをもらっています。

そして息子が超未熟児として生まれて私が一番思う事は、とても心配性な性格の私を鍛える為に早く生まれてきたのかなということです。これからも大丈夫かな?心配だな?という気持ちは一生続くと思います。でもそれを乗り越えて私を強くしてくれているような気がするのです。私と正反対の性格の夫はあまり心配をしません。何事も悪いほうに考えない性格です。私はそれにすごく救われた気がします。心配しても何も変わらないのです。心の無駄遣いなのです。心配しないとはすごいことです。それができれば本当に精神的に強くなれると思います。息子が生まれて1年8ヶ月、泣き虫だった私も卒業しました。少しずつ私を成長させてくれています。

身体が多少小さくても息子には周りを気にせず我が道を行く男になって欲しいです。夫と同じB型なのでその素質はありそうです。

これからまだどんなことがあるか分かりませんが、私を強く成長させてくれる機会と思って乗り越えていけたらいいなと思っています。

シュンペイ母体験⑧・・・息子の病気をきっかけに

息子が動脈管開存症になって教えてくれたことがあります。実は夫は先天性の心臓病「心室中隔欠損症」という病気で、生まれたときから心臓に小さな穴があります。1%の割合で生まれるようで、先天性の心臓病では一番多い病気です。今の子供たちは小学校に入る以前に手術をしますが、夫が生まれた頃は手術の技術がまだそんなに高くなかったので手術をせずに現在に至っています。幼い頃は水泳をしなかったり(夫は泳いだことがありません)マット運動を制限されたりしていましたが、大人になった今は特に制限なく過ごしています。年に1回定期健診をしているだけでした。

息子の動脈管開存症のカテーテル治療が決まったときに夫が、「俺のはカテーテルで治療できんとかな?」と言いました。先生に聞いてみようということになり、息子の手術の説明の時に何気なく聞いてみたのです。するとまだ日本ではカテーテル治療は出来ないとのことでした。そして心臓の穴の状態によっては寿命に影響してくるので一度検査してみては?と言われたのです。今まで定期健診は行っていましたが、大丈夫ですよ~という感じで終わっていました。特に詳しい検査をする必要性もなかったのです。しかし今回こういうお声をかけて頂いて、せっかくだからということで夫も入院してカテーテル検査をしました。検査の結果は予想より心臓の穴が大きく、心臓にかかる負担も高いとうことでした。若いうちは何か起こることはまずないけれど、50代くらいになるといろいろと病気が出てくるし、平均寿命が80歳だとしたら10年くらいは縮まるかもしれない、そのときになってああ手術をしておけばよかったとなるよりも、若い今のうちに手術をしておいたほうがいいでしょうと言われました。息子の病気をきっかけに何気なく先生に聞いた一言がこんなことに繋がるなんて・・・。あの時一言言っていなかったらずっとこのまま時は流れて先々で大変な思いをしたかもしれません。息子が未熟児で生まれて、動脈管開存症という病気を持っていたことが、夫の寿命を延ばしてくれることになったのかな、と夫と話しました。夫の手術も6月に決まり、親子そろってお世話になることになりました。ありがたいことです。

シュンペイ母体験⑦・・・退院後、動脈管治療

それからは定期的に目の眼底検査、体重の増えや体の発達の検査などを受けました。退院してしばらくした頃、動脈管開存症も専門の循環器の先生に診せてみましょうと言われました。動脈管が少し開いていることは全く意識していませんでした。

診察の日、エコーや心電図をとって先生の説明がありました。動脈管が開いているということは、必要ない血液が出ていて心臓の壁を傷つけているそうです。もしこのままの状態で風邪などを引き、その菌が心臓に回ってしまうと4人に1人は亡くなってしまうと言われました。

治療法としては、カテーテルを挿入して動脈管まで到達したら、コイルを埋めて血液の流れを止め、血管を壊死させるというものでした。

動脈管のことはほとんど気にかけていなかったので、ちょっと驚いてしまいました。まだ風邪は引いていなかったのですが、気をつけなければいけないと思いました。カテーテル治療(コイル塞栓)の為に1週間入院しなければらないのでその予約をして帰りました。

今年5月の第3週に入院しました。同じ病気の子や、他の心臓病の子も同じ部屋にいていろいろお話をしました。

カテーテル治療も無事終わり、予定通り退院しました。ここでも看護師さんたちにとてもかわいがって頂きました。私がトイレに行くときなどは抱っこをお願いしていたのですが、人見知りもせずとても助かりました。

今は眼底検査と身体の発達の検診、動脈管のコイルの検査に定期的に通っています。動脈管のコイルはちゃんと膜が張っているか、血液がもれていないか等を確認する為、4月に1週間入院し、もう1度カテーテルを挿入して検査をしました。幸い、問題はなく、今度は1年に1回の検査を18歳まですればいいということです。

シュンペイ母体験⑥・・・コットへ、退院へ

ある日面会に行くとSさんに会い、「外にでてたよ~」。と言われました。とうとう保育器からコットに移っていました。念願の初抱っこ、初おむつ替え、初おっぱいの日です。まだ体重は1444gしかなくてとっても小さかったですが、しっかり抱っこしました。ずっと裸におむつだったのが初めて洋服を着せられて、なんだか一気にお兄ちゃんになったような気がしました。長男を母に任せて夫もかけつけました。抱っこして写真をたくさん撮りました。

毎日飲める母乳も少しずつ増え、顔も身体もふっくらしてきました。

退院もそんなに遠くないのかな、と思っていた頃、面談でMRIの説明がありました。未熟児は脳の血管が伸びていないらしく、その状態や出血等がないか調べるとのこと。結果が出るまでかなり気になりましたが、特に異常はなく胸をなでおろしました。

その頃は毎日直接母乳をやりに行きました。おむつを替えて、体重を量って、おっぱいを吸わせる。まだしっかり吸えないので不足分は哺乳瓶でミルクをあげました。毎日会うのが楽しみでした。生まれた頃はうんちさえ自分でできず、長い管をお尻に入れてうんちをしていた息子が立派にひとりで出来るようになっていました。

いつものように面談に行くと、もう34日で退院してもいいよと言われびっくりしました。体重も増え順調とのこと。ただ動脈管が少し(糸の太さくらい)開いているけど、今後は外来で診ていきましょう、とのことでした。退院はそろそろかなあと思ってはいましたが、まだ何も準備していなかったので少し伸ばしてもらいました。それからはGCUに移り、授乳も決まった時間から自律授乳になりました。自律授乳になったので、母乳をあげるタイミングが難しくなりましたが、電話で何時に飲んだかを確認して次に飲む時間を予想して病院に行くようになりました。

退院前日、眼底検査がありました。目を思いっきり広げる器具をつけられて大泣きの検査でした。結果は右目が少し出血していてかさぶたが厚くなっているので注意が必要、かさぶたが厚いとその重みで網膜がはがれ網膜はく離を起こす可能性が0ではないと言われ、1週間後にまた見せることになりました。ここ最近順調だったので最後の最後にちょっと落ち込んでしまいました。その日は夫の知人の家族と一緒に食事に行く予定だったのですが、私が予想以上に落ち込んでしまい、行くのをやめようかと思いました。母に話したら、そこで行くのやめても後々悪かったなと気になるだけだし、心配しても何も変わらないから行ってきたら?と言われ、そうだなと思って出かけることにしました。出かけると心配していた気持ちも薄れてきて元気になってきました。

とうとう退院の日。3ヵ月半、NICU、GCUでお世話になった先生、看護師さんにお礼を言いました。その後産科に行くと、出産直前に手を握ってもらった助産師さんがいらっしゃったので、「あの時は手を握って頂いてありがとうございました」とお礼を言いました。産科、NICU、GCUに入院していた期間はほんとうにみなさんによくして頂いて、退院するのが寂しいような気持ちさえしました。ほんとうに感謝しています。

自宅に帰ると環境が変わってもぐっすり眠っていました。長男が保育園から帰ってきてはじめての対面です。恐る恐る触ってはニコニコしていました。

シュンペイ母体験⑤・・・NICU山あり谷あり

しばらく順調な日が続きましたが、ある日面会に行くと点滴をしていました。動脈管がまた開いてしまったそうです。ミルクもストップになり、また薬の投与がはじまりました。先生の「順調だからと油断しないで」という言葉が頭をよぎりました。一緒に来ていた母にまた開いてしまったことを話しました。涙声になってしまいましたが、涙だけは流すまいと必死で我慢しました。

今回動脈管が開いたのは感染(風邪)の影響だろうと言われました。このまま薬の投与を続けても閉じなければ、しばらく様子を見るとのことでした。生後1ヶ月経っていて体力もついているので今すぐ手術も必要ないとのことでした。生後すぐの動脈管開存症のときは、命にかかわるほどでしたが、今はそう心配はいりませんと言われ少し安心しました。生後1ヶ月経つとこんなにも変わるものなんだと思いました。それからは6回ほど閉じては開いてを繰り返しました。

この時期になると体重もやっと生まれた時くらいに戻りました。一時は700g代まで落ちていました。ネットで見たら、未熟児は生まれたときの体重に戻るのに1ヶ月くらいかかると後で知りました。早く調べて知っておけば、なかなか増えない体重に毎日一喜一憂することもなかったなあと思いました。その頃私はなるべくネットを見ないようにしていました。悪いことを目にすると気になって仕方が無くなるような気がしたからです。

その頃の面談で今度は「慢性肺疾患」のプリントをもらいました。

早産の原因は胎盤の感染で「絨毛膜羊膜炎」というものでした。それによって赤ちゃんの慢性肺疾患のタイプや重症度が分かるようになっていました。肺疾患ということは通常より肺が弱いということです。風邪などには気をつけなれればいけないなと思いました。

それからは順調に行き鼻の呼吸器も取れました。ずっと鼻につけていたせいか、鼻が上向きに上がっていて元に戻るのか心配になりました。でも今までのことを思うと贅沢な悩みだなあと思いました。

次の日には初めて体重が1000gを超え1022gになりました。義母は「1000gを超えたらなんだかすごく大きくなった気がするね」と喜んでくれました。

それからは感染(風邪)を起こし点滴をしたり、未熟児貧血で輸血(3回)をしたり・・・。いろいろ乗り越えて、体重も増減しながら少しずつ前進していきました。

ある日面会に行くと眼科の先生が来てお話したいとのこと。息子を出産した後の面談で未熟児網膜症のプリントはもらっていました。そこには27週で生まれた赤ちゃんのこの病院でのレーザー治療率は4割くらいとなっていました。とうとうきたか・・・・と思いました。話を聞くと、目の毛細血管が違う方向に伸びてきているので少しでも早くレーザー凝固の手術をしたい、目に出血があり、その部分へレーザーが打ちにくいので少し心配です、と言われました。すぐ手術になったので、夫に電話して仕事を早退して来てもらいました。

NICUを出て手術室へ向かいました。先生が大きなタンクをせおって、酸素のでるホースを息子の口にあて、保育器ごとゴロゴロと運んでいきました。約2時間半で手術は終了。心配していた出血の部分にもレーザーは打てたとのことでした。手術室から出てきた息子は目が開いていましたが、透明のゼリーのようなものをつけられていました(乾燥を防ぐため)。人工呼吸器をつけてまだ麻酔が効いていました。NICUに戻り、次の日には人工呼吸器がはずれほっとしました。ミルクも再開し、また少しずつ体重も増えてきました。

この頃に初めて注射器でミルクをあげることができました。ゆっくりゆっくり押し出して、口の管から私の母乳が入っていきました。それからは授乳の時間に合わせて息子に会いに行くのが楽しみになりました。

NICUの中は保育器が縦3列に並んでいました。一番右の列が体重も少なく重症な子の場所でした。ある日面会に行くと息子は真ん中の列に移動していて、あ~出世したなあとうれしくなりました。

その後も少しずつ体重は増え、哺乳瓶でミルクを飲めるようになりました。

シュンペイ母体験④・・・一つ目の山

1日に何度も面会に行っている間にあることに気づきました。2時間に1回ミルクの時間があって、保育器の上に準備してあるのですが、息子はミルクの時間になっても何も準備してありませんでした。お隣の赤ちゃん(Sさん)のところにはいつもあるのに・・・。看護師さんに「なんでうちの子はミルク飲まないんですかね~?」と聞くと「先生からお話があると思いますよ」と言われました。

先生との初めての面談の日は私が一人で行きました。夫に「何かたいへんなこと言われるかなあ」というと「いや~言われんやろ?なんか経過とかやないと?」と言われたのであまり深く考えずに面談に行きました。

まず先生は「これから超えなければならない山がたくさんあります。1つずつクリアしていきましょう」と言われました。ああそんなにたくさんあるんだな、と思いました。

そして1枚のプリントをもらいました。病名は「動脈管開存症」。普通の赤ちゃんは生まれて48時間以内に閉じる心臓の近くの血管が閉じずにいること。今は水分制限をしているためにミルクはあげていないとのとこでした。

これから出来る治療は、水分制限をし、それで駄目ならインドメサシンという薬を投与(副作用の可能性有)、それでも駄目なときは外科手術をして血管を縛るということでした。まだ身体が小さく、手術は危険なので出来るだけ避けたいと言われました。水分制限では閉じなかったので明日から薬を投与しますと言われました。

それからすぐ夫に電話してネットで動脈管開存症を調べてもらいました。未熟児には多い病気で、生後数日の間に生命に関わる心不全状態に陥ることもあるということ、手術のことなどが分かりました。

薬で閉じますようにと母、姉、叔母に毎日祈ってもらいました。私も毎日神様お願いしますと心の中で祈っていました。

二日後、会いに行くと保育器の上に注射器に入ったミルクが置いてありました。もしかして!と思っていたら、動脈管が閉じたとのことでした。うれしくて神様ありがとうございました、と心の中でいいました。

そして、そのとき思いました。先生から「これから超えなければならない山がたくさんあります。1つずつクリアしていきましょう」と言われたことを。これからもまだまだあるんだな、そのときに決めました。もう泣くのをやめよう、全部泣いていたらきりがないと。もう泣き虫の自分を卒業しようと思いました。

息子が生まれて何日か後、隣の保育器に赤ちゃんが来ました。うちの子よりもかなり小さそうでした。お母さんが車椅子で面会に来られていました。初めてみる小さな小さな我が子、お母さんの肩は震えていました。もう泣かないと決めていたにもかかわらず、私は自分が初めて息子と対面したときのことを思い出して、もらい泣きしてしまいました。お母さんの今の気持ちが痛いほど分かりました。

出産から10日後の910日に私一人退院しました。その日はなんと長男の誕生日。この日に退院できるように合わせて生まれてくれたんじゃないかと思いました。1日でも遅れていれば誕生日は祝えなかったんですから。

それからは毎日面会に行きました。母乳も毎日1L搾乳して届けました。