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シュンペイ母体験⑤・・・NICU山あり谷あり

しばらく順調な日が続きましたが、ある日面会に行くと点滴をしていました。動脈管がまた開いてしまったそうです。ミルクもストップになり、また薬の投与がはじまりました。先生の「順調だからと油断しないで」という言葉が頭をよぎりました。一緒に来ていた母にまた開いてしまったことを話しました。涙声になってしまいましたが、涙だけは流すまいと必死で我慢しました。

今回動脈管が開いたのは感染(風邪)の影響だろうと言われました。このまま薬の投与を続けても閉じなければ、しばらく様子を見るとのことでした。生後1ヶ月経っていて体力もついているので今すぐ手術も必要ないとのことでした。生後すぐの動脈管開存症のときは、命にかかわるほどでしたが、今はそう心配はいりませんと言われ少し安心しました。生後1ヶ月経つとこんなにも変わるものなんだと思いました。それからは6回ほど閉じては開いてを繰り返しました。

この時期になると体重もやっと生まれた時くらいに戻りました。一時は700g代まで落ちていました。ネットで見たら、未熟児は生まれたときの体重に戻るのに1ヶ月くらいかかると後で知りました。早く調べて知っておけば、なかなか増えない体重に毎日一喜一憂することもなかったなあと思いました。その頃私はなるべくネットを見ないようにしていました。悪いことを目にすると気になって仕方が無くなるような気がしたからです。

その頃の面談で今度は「慢性肺疾患」のプリントをもらいました。

早産の原因は胎盤の感染で「絨毛膜羊膜炎」というものでした。それによって赤ちゃんの慢性肺疾患のタイプや重症度が分かるようになっていました。肺疾患ということは通常より肺が弱いということです。風邪などには気をつけなれればいけないなと思いました。

それからは順調に行き鼻の呼吸器も取れました。ずっと鼻につけていたせいか、鼻が上向きに上がっていて元に戻るのか心配になりました。でも今までのことを思うと贅沢な悩みだなあと思いました。

次の日には初めて体重が1000gを超え1022gになりました。義母は「1000gを超えたらなんだかすごく大きくなった気がするね」と喜んでくれました。

それからは感染(風邪)を起こし点滴をしたり、未熟児貧血で輸血(3回)をしたり・・・。いろいろ乗り越えて、体重も増減しながら少しずつ前進していきました。

ある日面会に行くと眼科の先生が来てお話したいとのこと。息子を出産した後の面談で未熟児網膜症のプリントはもらっていました。そこには27週で生まれた赤ちゃんのこの病院でのレーザー治療率は4割くらいとなっていました。とうとうきたか・・・・と思いました。話を聞くと、目の毛細血管が違う方向に伸びてきているので少しでも早くレーザー凝固の手術をしたい、目に出血があり、その部分へレーザーが打ちにくいので少し心配です、と言われました。すぐ手術になったので、夫に電話して仕事を早退して来てもらいました。

NICUを出て手術室へ向かいました。先生が大きなタンクをせおって、酸素のでるホースを息子の口にあて、保育器ごとゴロゴロと運んでいきました。約2時間半で手術は終了。心配していた出血の部分にもレーザーは打てたとのことでした。手術室から出てきた息子は目が開いていましたが、透明のゼリーのようなものをつけられていました(乾燥を防ぐため)。人工呼吸器をつけてまだ麻酔が効いていました。NICUに戻り、次の日には人工呼吸器がはずれほっとしました。ミルクも再開し、また少しずつ体重も増えてきました。

この頃に初めて注射器でミルクをあげることができました。ゆっくりゆっくり押し出して、口の管から私の母乳が入っていきました。それからは授乳の時間に合わせて息子に会いに行くのが楽しみになりました。

NICUの中は保育器が縦3列に並んでいました。一番右の列が体重も少なく重症な子の場所でした。ある日面会に行くと息子は真ん中の列に移動していて、あ~出世したなあとうれしくなりました。

その後も少しずつ体重は増え、哺乳瓶でミルクを飲めるようになりました。

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